お酒のおつまみって美味しいですよね。
豊かな香りのスモークハムに、塩茹でされて引き締まった枝豆。カリッと香ばしいナッツはマカデミアとカシュ―ナッツがイチオシ。
チーズはクリーミーなカマンベール、濃厚なチェダー、ゴルゴンゾーラはピリッとシャープなピカンテタイプが好き。
その他、お刺身、唐揚げ、たこわさ、だし巻き卵・・・・・・と、どれも魅惑の一品です。これらが自分の口に入るのを想像するだけでよだれが溢れてしまいます。
しかし、ここで問題が一つ。
僕はお酒が全く飲めないんです。
おいしいおつまみを食べていると、どうしてもこのことが頭をよぎります。
そしてふと、お酒の飲めない自分は社会においてとても弱い立場にいるんじゃないかと、ひどく哀しい気分になってしまうのです。
お酒が飲めない
僕はお酒に弱い人間です。
どのくらい弱いのかって、缶チューハイで有名な「ほろ酔い」が1缶(350㎖)飲めないレベルで、です。半分飲めたら調子が良い方。それでも顔は真っ赤になるし、ズキズキ頭痛と襲いくる眠気にあっという間にダウンしてしまいます。
何がほろ酔いですか、こちとらゲキ酔いなんですよ!(いや、悪いのは僕なんですけどね・・・・・・)
致命的なほど、アセトアルデヒド分解酵素が欠如しているんです。
もはや僕とアルコールの間には、逃れられぬ因縁があるのだとさえ思います。きっと前前前世は張飛かヤマタノオロチ。
僕の体にとって、お酒は厄介な毒物でしかないんです。
お酒の場は好き
でも、居酒屋などお酒が出るお店に行くのは好きなんです。
冒頭に書いたような美味しいおつまみが食べれるからというのもありますが、気の置けない仲間たちと楽しい時間を過ごせるというのが一番の理由です。
僕は「場に酔える」タイプなので、一人だけ素面でも心苦しさはありません。みんなで愉快に笑いあっているとお酒が入っていなくても気持ちが良くなってきますし、普段生真面目な人がハッチャケてる様子などをまじまじと観察していると、素面ゆえの黒い優越感に浸ることができます(ゲス顔)。
お酒が入っていなくても、十分に楽しい空間を作り上げることができると僕は思うのです。
お酒(飲まないけれど)と美味しいおつまみに囲まれて、仲間たちと楽しい時間を過ごせる。とても素敵なことじゃないですか。
だから僕は、お酒が飲めなくても飲みの席に出るのが好きです。
しかし、これは僕がお酒を飲めないことを十分に理解してくれている人たちと飲む場合に限られます。
それ以外となると状況は一変。そこは絶えない苦痛を味わい続ける場となってしまいます。
なぜなら、上記のようなお酒に対する姿勢を快く思わない人達が、世の中には沢山いるからです。
お酒を飲めない人間を見下す人達
まず第一に、お酒が飲めない人間を見下す人達がいます。
彼等は「酒が飲める」ことを「一人前の大人」や「デキる人間」「カッコいい人間」の証だと考えて、それが出来ない人間を見下してきます。
彼らの価値観においては「お酒に強い」ことが何よりの名誉であって、つまり酒が飲めない人間なんぞゴミ以下のカスなんです。
そうした意識は、大学生のイキった「俺酒強いから凄いアピール」(何故か人間関係の上下を決める指針だと思っている)に始まり、社会人の「酒を飲めない人間は仕事もできない」という謎理論へと昇華します。特に男性にこの傾向は強く現れるようです。
これがさらに進むと、彼等は「酒を飲むのも仕事の内だ」「酒も飲めないようじゃ出世はできないぞ」「俺の酒が飲めないのか!」等としきりに唱える「飲みにケーション教」の信者と化します。
彼等はとても信仰深いので、崇拝する協会(居酒屋等)にやたらと足を運び、また、酒を覚えたての若者たちに向けて日々熱心に布教活動を行っています。
しかし、そこに僕のようなアルコール弱者が紛れ込もうものなら「異端者がいるぞ!浄化しろ!」と寄ってたかって聖水(酒)を浴びせてきます。
それが異端者を改心させるのに必要な善行なのだと、自らに課せられた使命なのだと、
恐ろしいまでの気迫をもって聖器(ビールジョッキ)を掲げるのです。
その液体が僕にとっては毒でしかないことが、彼等には理解できません。
そりゃまぁそうですよね。彼等にとってのアルコールは、自らが崇め讃える対象なのですから。
それが飲めない、受け入れられない人間なんて、彼等からしてみれば悪でしかありません。
「しからば自らの正義をもって、悪を撲滅しよう!」と考えることは、ある意味道理にかなっているとも言えます。
酒を讃えよ!酒を崇めよ!さもなくば聖戦だ!ジ・ハードだ!
ホント、迷惑ですよね。
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酒好きとしてのマナー
お酒が好きだという人なら、それを嗜む者としてのマナーもしっかりしていて欲しいものです。
しかし残念なことに、前述の信徒たちの教義にはそうしたものが無いようです。
彼等はとにかく「たくさん飲む」ことが神への信仰心の現れだとしていますからね。行われるのは際限の無い暴飲と嘔吐の連続です。
引き際を見据えて、静かに、スマートにお酒を楽しむ・・・・・・なんて考え、彼らの頭には鼻から存在しないのでしょう。本来なら、これこそが「賞賛されるべき大人の姿」なんでしょうに。
そして彼らは、「酒の場だから」とモラルに反した行為に出ることもしばしば。
例えば、セクハラ、パワハラ、一気飲みの強要……どれもされる側からしたらたまったものではありません。
そして哀しきかな、酒を飲まない or 慣れていない人間はこうした暴挙のターゲットになりやすいのです。いやホントに!
若い人達が会社の飲み会に行かなくなっている理由なんて、もう容易に想像がつきますよね。
「吐けば強くなる」と言う人達へ
ところで、お酒の弱い人に対して「吐けば強くなる」「飲んで吐いてを繰り返してみんな大人になっていくんだ」みたいなこと言う人いますよね。
正直、「は?何言ってんのこいつ」って感情しか湧いてきません。本気で、そんなこと言ってるんでしょうか。
お酒に強い、弱いというのは、完全にその人の体質で決まります。
厳密にいえば、アセトアルデヒドをしっかりと分解する酵素を持っているかどうかで決まるんです。
これを持っていなければ、いくら飲もうが吐こうがお酒に強くなることなんてありません。
「実際に強くなった!」って人は、もともとその酵素を持っていて、しかしその働きがそれまで現れてきていなかっただけなんです。
たったこれだけの内容で説明がついてしまうことなのに、なぜ彼らは執拗に「飲めば強くなる」という迷信を信じているんでしょうか。
<p言っておきますけど、アセトアルデヒドって人体にかなり有害な毒物ですからね?それが上手く分解できないと言っている人たちに対して。アルコールを強要することの何が楽しいんでしょうか。いたずらに血圧上昇させて腎臓や肝臓に負担かけて、なにが面白いんでしょうか。
酷い場合には、先天的にお酒が弱い人に対して「いつまでも酒が飲めないのはお前の努力が足りないからだ!」なんて根性論を持ち出す人もいますからね……。
頭が悪いとしか言いようがない。いやまぁ、これもまたきっと聖典に書いてあることなのでしょう。くわばらくわばら……。
そしてなぜ彼らは、食べもの飲みものを吐くということを良しとしているんでしょう。
単純に考えて、もったいないです。せっかくの美味しいお酒とおつまみなのに。
別に、「アフリカの貧しい子供達のことを考えたら〜」とか言うつもりはありませんよ。ただ、良心の範疇として、食べ物を粗末にすることへの躊躇いのなさに寒気がします。
作ってくれた人に申し訳ないとか思わないんでしょうか。吐いて飲んで吐いて食べて・・・・・・中世ヨーロッパ人か何かなんでしょうか?
こうした人たちが現実にいるんだということを思うと、お酒の場に出ていくのがとてもイヤになります。
いつも気が知れた相手と飲みに行くわけではないですからね。初めての人と行く場合なんていつも戦々恐々としてしまいます。
もちろん、皆が皆こうした極端な考えの持ち主でないことなんて百も承知です。数としても少ない方なのでしょう。
しかしだからこそ、出会ってしまった時の悲しみと面倒くささは、想像をはるかに超えたものとして僕に襲い掛かってくるのです。
無用に気を使わせてしまう
やっかいな「飲みニケーション教」の信者ではない人達からお酒の場に誘われた時も、僕は少し躊躇してしまいます。
「全然飲めないですけどいいですか?」と確認して「いいよいいよ!」と了承してもらえても、いざ飲み始めると、僕の予想以上の酒の弱さに驚かれてしまうんです。
そうなると、楽しくお酒を飲む場における僕の存在ってすごく「扱いにくい」のですよね。
「とりあえずビール!」で運ばれてきた黄金水を一口飲めば、それだけでもう真っ赤だし、眠たそうだし、向こうも気を遣うばかりで楽しくないんですよ。
お会計の時も、僕がほぼソフトドリンクしか飲んでないために一人だけ安くするかどうかみたいな議論が毎回開かれます。それもまた、いたたまれません。僕は同額払うと言うんですが、向こうに気をもませてしまう時点で煩わしい奴ですよね。
その場のお酒が飲める方たちからすると、僕みたいな人間は興ざめの原因でしかないんです。
そしていつしか、彼等から飲み会に誘われなくなってしまいます。
そうなることが分かっているからこそ、誘われても素直に「行きます」と言いにくいのです。でも、せっかく誘ってもらったのに「行かない」と言うのも角が立ちます。
そして、ならば一体どうすればいいのかと、一人思案に暮れるのです。
それでも、「飲みに行こう」と誘ってれる人
それでも、そんな僕を毎回飲みに誘ってくださる人達がいます。
最初こそ気まずい感じになっても、何度も誘ってくださる中で打ち解けて、それぞれのスタイルで飲み会の楽しさを共有できるようになるのです。
そうした人達に僕は救われています。本当に、ただただ感謝するばかりです。
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お店側の話
「美味しいおつまみは食べたいけれど、他人に煩わしく思われたくない?なら一人で行けばいいじゃないの!」という方たちへ。
世の中にはね、『お酒が飲めない人お断り』なんていうお店があるんですよ。
僕の母親が、ある時、美味しいおつまみが頂けるというお店に友達2~3人と出かけていきました。しかし、メンバーみんな翌日早いから、ということでウーロン茶などのソフトドリンクと食べ物だけを注文していたんです。
そしたら、お店側から「うちはお酒を飲むところなんで、そういうのやめてもらえますか」と言われたんだそうです。
この話を聞いた時、僕は酷く落ち込みました。
お酒が飲めないと入ることさえできないお店が世の中にはあるんだと、すごく悲しい気持ちになったんです。
ネットの海に潜ってみても、こうしたお店があるという情報は散見されました。
世間的にも、『お酒が飲めない客お断りの店』という存在は認められているもののようです。
まぁでも、そうしたお店の言い分も分かるんです。
居酒屋は利益率の良いお酒で稼いでるわけで、それを頼まず、店的には旨味の少ない料理ばかり頼まれては商売上がったりですもんね。いわゆる、「酒場の水問題」ってやつです。
ネットでは、「居酒屋に行ってお酒を頼まないのは、蕎麦屋に行って蕎麦を頼まないのと同じだ」みたいな厳しい意見もありましたし、やはり、お酒をオーダーしない客は店からも望まれてはいないのでしょう。
でも、僕だってお酒は頼まなくてもソフトドリンクは何杯もおかわりしているんですよ。利益率どうこうはクリアしているはずです。
それでもなお、「酒が飲めないなら出ていけ」なんて言われて追い返されたら、そんなの悲しくなりますよ。
まぁ、追い返すまでいかない店でも、飲まない客は鬱陶しがられているんでしょうが・・・・・・。
お酒の飲めない人間は、彼らにとって迷惑な人間です。
居酒屋に限らず、イタリアン等でこうしたルールを設けている店もあるなんて話も聞きますし、正直すごく肩身が狭い・・・・・・。
こういった話を前にすると、一人でおつまみを食べに居酒屋へ……なんて気力は全く湧かなくなってしまいます。
だって、それだけで僕は誰かに迷惑をかけることになるかもしれないのですから。
アルコール弱者の悲哀歌
「酒が飲めない人間は、男じゃない!仕事できない!出世できない!一人前じゃない!努力が足りない!興覚めだ!煩わしい!飲み屋に来るな!」
ここまでに述べてきた、下戸に対する攻撃的な言葉を並べるとこんな感じですかね。
こうしたネガティブな話を聞いていると、お酒が飲めない自分は、社会から受け入れられない、人よりも劣った存在なのではないかとすごく不安に思ってしまいます。
お酒が飲めないことで、自分は人に迷惑をかけているんじゃないか、場の興を削いでいるのではないか、面倒くさがられてるんじゃないか、そんな暗い気持ちが心を卑屈にさせるのです。
被害妄想だなんてことは分かっていますが、気丈に開き直ることも楽ではありません。
美味しいおつまみを食べていると、いつもこうした思いが心をよぎります。
そしてその度に、「アルコール弱者」の僕は酷く悲しくなるのです。
最後に
全体的に暗く、そして愚痴全開の内容になってしまいましたね・・・・・・すいません。
ところで、酒を飲めない僕が一体居酒屋で何を飲むのかって?
そんなの、『ジンジャーエール』に決まってるじゃないですか!
ショウガの粋な味わいと、シュワッとはじけるスパークリング!完璧ですね!
シャンパンに憧れて作られたというこのジンジャエールは、まさにお酒に憧れる僕にピッタリのドリンクですよ。
これを片手に携えつつ、美味しいおつまみに舌鼓・・・・・・ん~!最高!
飲み放題ともなれば、軽く10杯は飲みますからね。
まさに酒飲まずの救世主。それがジンジャーエールです。
特に好きなのは、もちろん『ウイルキンソンの辛口』です。
みなさんも是非、ビールに変えてこのジンジャーエールの魅力に浸ってみてください!
甘すぎず辛すぎず、休肝日には最適の1本です!
(よし!これで暗い気分を脱して明るく終われる!さすがジンジャーエールだぜ!)
そんなこんなで、今回はこの辺で!
ではでは、またまた