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夜行月報

“夜更かし”から“新しい”をみつけるためのブログ

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居酒屋で店員にお礼を言ったら、友人に「何で礼なんて言ってんの?」と言われた話。

金は心さえ喰うものか

皆さんこんにちは、シロネコ書房(@shironeko_shobo)です

 

この前、中学時代からの友人と久しぶりに飲みに行きました。

積もる話に酒も串も進み、大変楽しい時間を過ごすことが出来たんですが、その帰り際、店員さんに「ごちそうさまです」と言う僕を友人が変な目で見ていたんです。

そして店を出た後、彼にこう言われました。

お前、なんで店員に礼なんて言ったの?」。

その言葉に、今度は僕がきょとんとする番でした。

店員さんにお礼を言うことって、そんなにおかしなことなんでしょうか。

店員に「お礼」は不要?

飲食店や各種販売店を利用した際、僕は必ずお礼を言うようにしています。

書店やスーパーでお会計をしてもらった時は、目を見て、笑顔で「ありがとうございます」とお礼を言うようにしていますし、飲食店なら「ごちそうさまでした」と必ず一声添えます。

こうした行いは、小さなころから当たり前のように繰り返してきたことです。

人に良くしてもらったら、ちゃんとお礼を言いなさい」という両親の言葉を今でも律儀に守っている……なんて言うと大げさですが、そうしてきた理由の根っこの部分は、やはりそのあたりにあるのだと思います。

また単純に、自分が接客業に就いていた時にお客さんから言われて嬉しかったから、というのもありますね。

このように、僕にとって店員さんにお礼を言うことは「日常の一部」だったんです。

それ故に、友人の「なんで礼なんて言ったの?」という一言はかなり衝撃的なものでした。

 

友人曰く、「俺たちは金を払ったのだから、それに加えてお礼を言う必要なんて全く無いじゃないか」とのこと。

居酒屋側の料理や接客に対し、僕たちは相応の対価(金銭)を支払っている。それで両者の間のやり取りは完結しているのだから、そこに”お礼”を投げ込むことの意味が分からない、というのが友人の意見の趣旨でした。

 

彼の意見に対して、私は昔から続けてきた習慣だということもあって「確かにそうかもしれないけど、何も言わないとなんか気持ち悪くってさ」と反論を試みました。

すると友人は「なんだよ、いい子ぶりっこかよ。」と私を鼻で笑う様でした。

彼のこの発言にムッとしなかったと言えば嘘になります。だた、久々の再会で喧嘩するのも嫌だったので、「まぁ、そういう考え方もあるか」とその場は流すことにしました。

正直な気持ちを言えば、胸の奥にモヤモヤするものを持ち続けてはいたんですけどね。ねちっこいな、自分……。

店員に「お礼」を言うのは恥ずかしい?

友人と分かれた後も気分が晴れなかった僕は、世間では一体どういった意見が主流なのだろうと思ってネットを覗いたんです。

すると、あれまあれま、友人の考え方に色を付けたような意見がうじゃうじゃと出てきましたよ。

 

それらを簡単に一文でまとめると、

店員にお礼を言うやつは、頭がおかしい!みすぼらしい!恥ずかしい!良い人ぶりやがって!バーカ!

というものでした。

え?そこまで言うの!?という驚きが凄かったですね。

そしてそうした意見の根幹には、友人と同じく「お金を支払っているから」という考え方がある様でした。

 

うーん、やっぱり僕には良く分からない考え方な上に、なんというか少し恐ろしい気持ちにさえなります。

お礼を言うことって世間一般では「良いこと」として推奨されている行為じゃないですか。

心の内に「有難い」という感情が浮かんだ時に、感謝の気持ちを相手に伝える——自然かつ純粋な、人間の感情に基づいた行動です。

また、人と人とのコミュニケーションを円滑にしてくれる優れものでもあります。

それが、間にお金が介在しただけでここまで非難されてしまうって、なんだかとても怖くないですか

だって「お礼なんて言わなくていい」派の人々は、「お金を使う側には圧倒的な優位さがあるんだ。だから有難いなんて思うのも、礼なんて言うのもおかしいんだ」って言っているんですよ。

まるでお金こそが、この世において最も尊い物であるかのような、そしてそれを使う者こそが、絶対的に上の立場にいるかのような考え方ですよね。

まさに拝金主義の極地。お客様は神様理論ですよ。

 

でもお金って、そんなに崇高かつ万能な物でしたっけ?

ふと浮かんだこの疑問に対して、僕はそれらしい回答をすることができません。

それ故に、店員さんにお礼を言うことが「恥ずかしい」だとか「頭がおかしい」ことだとは到底思えないのです。

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お金は万能?

お金は万能?

「お礼を言うなんて気持ち悪い派」の意見の大多数は、「こちらはお金を払っているの客なのだから、サービスを受けるのは当たり前だし、それに感謝する意味が分からない」というものでした。

 

しかし、これって本当にそうなんでしょうか。

 

確かに、自分が汗水流して働いて稼いだお金をその「サービス」に使っているわけですから、「優越感」だとか「権利意識」を強く感じる気持ちは分かります。

この資本主義社会において、お金はとっても大事なものですからね。支払った金額に対して、相応のサービスを求めるのは当然のことでしょう。

 

でも、1つ忘れちゃいませんか?

そうです。お金って、実はそれ単体では何の役にも立たないんですよね

それを支払って利用できるサービスがなければ、ただの紙切れと同じなんです。

サービスの価値とは?

サービスは、最初から「そこ」にあるわけではありません。

誰かが思いつき、計画し、準備をして、実行する。その最終地点でもって、私たちは初めてそのサービスを利用できるんです

つまり、お店側は私たちがお金を払うことで使えるサービスを「生み出して」くれているわけなんですよね。

 

例えば、あなたがハンバーガーを食べたいと思った時、真っ先に思いつく購入先が1つか2つはあると思います。

そこに行けば、あなたは500円足らずで目的のハンバーガーを手に入れることができるでしょう。しかも、24時間いつでもです。

  

しかし、そのハンバーガーをあなたが買えるのは、そこに関わるいろんな人達が精を出して働いていたからなんです。

まず、材料となる野菜や肉の調達する人達がいて、次に店を構えるために土地や建物を用意する人達がいます

また、1つ500円以下という安価な値段で販売するためのシステムの構築する人達がいます。

そしてその末端には、1日中立ちっぱなしで、しかも敬語まで使って僕たちに接客をしてくれる販売員さんたちがいます。

彼ら1人1人がいることで、僕たちはたった500円かそこらで、まったくの手間なしにおいしいハンバーガーを手に入れることが出来るんです。

  

当たり前のように見えて、これって実はすごいことなんですよ。

だって、もしこの店が無かったら、そこで働く従業員さんがいなかったら、僕らはハンバーガー1つを手に入れるために多大な労力を費やさなければなりませんからね

肉を買って、野菜を買って、パンを焼いて……と、1つのハンバーガーを作り上げるためにかかる費用と時間は計り知れません。

さらに視野を広げれば、牛肉を手に入れるためには牛を、パンを手に入れるためには小麦を、それぞれ育てるところからやらなければならないんです。

 

そんな面倒な工程のすべてを請け負って、たった500円でハンバーガーを買える仕組みを作ってくれたのは、そのお店と、店頭販売員をはじめとした従業員1人1人です。

そんな彼らに対して、たった500円支払ったからと言って「私たちの方が偉いんだ!」とふんぞり返ることって、残念を通り越してなんだか滑稽に思えてきやしませんか

 

ここまで少し大げさな話をしてきましたが、なにもその店を経営する社長や裏方のことまで想像して感謝しろと言っているわけではありません。

ただ、目に見える範囲の人達、つまりはお店で調理をしたり接客をしてくれる従業員の方たちに対して「ありがとう」と言うことを「恥ずかしい」だとか「頭がおかしい」などと否定することってどうなの?と、「お礼を言うなんていやらしい派」の皆さんに問いかけているだけです。

 

あなたの「大切な500円でハンバーガーを買ってやっている」という気持ちもわかります。

しかし、見方を変えれば「この人達(店員)のおかげで、ハンバーガーをたった500円で買うことができる」という思いに至ることだってあるはずです。

 

提供されるサービスの価値の全てが、やり取りされるお金の額に収束するものだとは僕は思いません。

そして、そこから溢れたものに気付いた時、「ありがとう」という言葉は自然と出て来るものなのではないでしょうか。

最後に:お金だけの関係って虚しくない?

 お金は、それを使う方が偉い!なんてことはありません。

なぜなら、それを使えるサービスがなければ、ただの紙切れでしかないからです。

先ほどのハンバーガーの例が分かりにくかった人は、自分がお米を買う場面を想像してみてください。
お腹が空いてお米を食べたいと思っても、それを生産してくれる農家さんがいなければ、あなたがいくらお金を持っていたとしてもそれを手に入れることはできませんよね。
農家さんが汗を流して働き、収穫した米に値段をつけて売ってくれることで、僕らはあったかいご飯を食べることができるんです。

 

しかしだからと言って、サービスを生み出した側が絶対的に優位だと言うことでもありません。

そこにお金を使ってくれる人がいなければ、サービスだって意味をもたなくなってしまうからです。

 

つまり、サービスを提供する側と、そこにお金を支払うお客さんは持ちつ持たれつの対等な関係だと言うことです

対等な人と人との関係において、どちらかが「優遇されて当然」だということはありません。

お店側はお金を使ってくれるお客さんに敬意を、そしてお客側は、サービスを提供してくれたお店と人に感謝の意を持つべきだと僕は思うのです。

 

まぁこんなことを言っても、拝金主義の「お礼を言うなんて偽善者派」の人達は「意味がわからない!金を払ってる俺たちの方が偉いに決まってる!お客様は神様だぞ!うぎゃー!!」とうるさい事に変わりないのでしょうか……。

 

しかし、そう言う人たちって虚しくならないんですかね?

彼らはお金こそが全てで、それを支払った相手は自分に尽くすべきだし、そこに感謝も尊敬もないと思っているわけですよ。

お金によって人は動いて、それが終わればもう他人。

そんな、社会における人と人とのつながりが「お金」を通してしか得られないと思いながら生きるのって、ものすごく悲しくないですか?

感謝や尊敬といった感情すらもお金に支配されて、人と人との心のつながりを失って過ごすことの何が楽しいのでしょうか。

 

僕は、

お金は人に言うことを聞かせたり、支配するためのものではないと思っています

お金は双方の欲求の間に介在して、そのやり取りがスムーズになるように補助するものでしかありません。

お金だけでは何も成り立たないんです。

だから僕は、お金を払っているからといって自分が偉い立場にあるだなんて思いませんし、当然のごとく店員さんにお礼を言います。

お金に支配されて終わることのないように、お金だけで終わらない人と人との繋がりを大切にして、僕はこれからも「ありがとう」を言い続けようと思うのです。

 

今回はこのへんで

ではでは、またまた