夜行月報

“夜更かし”から“新しい”をみつけるためのブログ

セックスが大好きで大嫌いな日本人

愛のために性を知る

今、日本にはセックスレスの夫婦が増えていると聞く。

日本家族計画協会が今月10日に発表した「男女の生活と意識に関する調査」によると、性交渉が一か月以上ない夫婦が全体の47.2%を占めているという。

私は男女の性愛について見識が高い身ではないが、それでも、愛を誓い合った男女の約半分が夜の営みに消極的であるという事実には、いささかならぬ異常性を感じる。

 

この件に関して、先日ニャートさん(id:nyaaat)が興味深い記事を上げられていた。

nyaaat.hatenablog.com

内容としては、夫婦間のセックスがなぜ滞るかという問題について、女性(妻)側の立場からその理由を探るというものだった。

特に、行為に至らない理由として挙げられていた「面倒くさい」というあいまいな部分について深堀りをされており、一つの答えとして「日々の労働による疲労」や、「若いころの性の抑え込み」⇒「30歳を超えてからの一変した出産脅迫」という悪質なコンボをその正体としていた。

 

私は男だが、日本の女性を取り巻くこうした「性」の環境には日々不憫な思いを感じていた。そしてそれは、男性にとっても無関係な話ではない。

今回はそこに焦点を当てて、語られることさえ忌避されがちな「日本人の性への意識」について書いて生きたいと思う。

 

抑圧される若者たちの「性」

まず最初に取り上げたいのが、若者達の「性」に対する抑圧だ。

この部分に関して、ニャートさんは上記の記事で次のように述べられていた。

大学生のときは、親に禁止される。
社会人になりたてのときは、会社に禁止される。
20代後半は仕事が忙しく、あっという間に30代になり、「羊水腐ってる」(実際は腐らない)「なんで20代で産まなかったの?」と言われるようになる。

日本では、10代後半~20代前半の若者達の「性交渉」に対する社会の非推奨感と嫌悪感が異様に強い。

「子どものうちにセックスするなんてとんでもない!けしからん!そんなことにかまけていないで、勉強しろ!仕事に励め!」というのが社会の一般的な声だ。

だが、そうやって「性」を抑え込まれて抑え込まれて、出産適齢期と言われる20代前半もさらっと過ぎ、気付いたころには30過ぎ、なんてことになると、社会は突然「今まで何をやってたんだ!早く子供を産め!」と手のひらを反すのである。

しかし、急にそんなことを言われても、体と心はそうした欲求についていけない。

これまでぎゅうぎゅうと抑え込まれていた部分を、都合よく引き出すことは容易ではないのだ。

 

ニャートさんはこうも言う。

女性にとって、性行為というのは、単体での良さを語られる場がほとんどないと思う。
若いころは禁止、適齢期を過ぎると(それまでに産めていなければ)脅しや自己否定という、マイナスな感情とセットになっている気がする。

性行為自体がよいものだと知らずに死んでいく女性は、それなりにいるんではないかな、私もだけど。

社会は女性に対して、性行為やそれに対する欲求は押さえつけ隠蔽するくせに、「子どもを作る」という社会的意義のある部分だけ都合よく取り出そうとしている

性に関する情動だとか、欲望だとか、そういった人間性を無視して機能だけを求めているのである。まるで機械の様な扱いだ。

しかしそれでは、ニャートさんが言うような「セックスそのものの良さ」を感じることはできない。

多くのしがらみと義務感によって強いられるセックスは、女性の心と体に多大なストレスを与えることとなる。

それはまさに「面倒くさい」ものであり、夫婦という一蓮托生の関係におけるコミュニケーションを著しく阻害することになる。

 

 このようなことを言うと、世の大人たちは

「そうはいっても、子供たちに容易な性行為を許可できるわけがない。なぜなら彼らには、ちゃんとした知識も責任感もないではないか!」

と声高に叫ぶことだろう。

だが考えてみて欲しい。

そうした知識や責任について教えてこなかったのは、他ならぬ世の大人たちではないのか

硬直する日本の性教育

日本では性教育が遅れている、とよく言われる。

海外では当たり前のように行われている性教育が、日本では全くと言っていいほど浸透していないのだ。

私は現在20代半ばだが、「性の芽生え」が起こった中学生時代を思い出してみても、コンドームやピルといった避妊用品の使い方について詳しく教えられた記憶はない。

「性行為」自体についても同様だ。

男女による体の構造・機能の違いや、「オタマジャクシと卵が~」から始まる妊娠の仕組みは説明されたが、そこに至るまでの「性愛」の過程はいつもぼかされていた。

 

そんな日本の性教育の遅れについて、警鐘をならすような記事が先日上げられた。

news.yahoo.co.jp

この記事によれば、性行為や妊娠における間違った知識が氾濫しているのは、「学校が性教育を避けている」からだという

同記事内で、大阪国際大学の准教授・谷口真由美氏はこのように述べている。

「高校までの学校教育において、きちんとした性教育を避けてきた結果ではないか」と感じている。その背景にあるのは「寝た子を起こすな」という発想だという。性の知識を広めると、若者に性交渉などが氾濫し、性の乱れにつながるのではないか、という考え方だ。

 要は、「教えなければ、知らなければ、間違いも起こさない」という目隠し教育を学校が行っているということだ。

こうした傾向は、携帯会社のフィルタリングサービス等にも現れている。

彼らはとにかく、「性」に直結する物事に蓋をして「見せない」ことが一番の手段だと思っているのである

 

だが、果たしてそれは正しい方法なのだろうか。

学校で性教育を受けない子供たちが、ではどこでそうしたことを学ぶのかと言えば、それはAVや成人向け漫画雑誌だ。

私たち大人はその内容が現実の性行為とかけ離れたものだと判断できるが、しかし子供たちはそれを知らない。

AVや漫画の中で展開される、ファンタジーやショーとしてのセックスを、正しいものだと思い込んでしまうことも十分にあり得るのだ。

「そんなこと少し考えれば分かるだろう!」と憤る人もいるだろうが、それは大人の傲慢というものだ。そういう人たちは「子供たちが知らないことを知らない」のだろう。

 

そうして起きる誤った性知識(コーラで膣を洗えば避妊になるなど)の普及や、そもそもの知識不足によって、間違った性行為や望まれない妊娠が起きてしまう。

だが、そうした時、何故か大人たちは子供たちを叱る。

「なぜこんなことをしたんだ!少し考えれば間違っていると分かるだろう!」と。

しかし、そもそもちゃんとした知識も教えていないのに、事が起きてから「考えればわかるだろう」などという叱責をすること自体がおかしい。

少なくとも、性教育の義務を放棄したきた親や学校がかけていい言葉ではない。

ここに、大人たちが性教育から目をそらしてきた ”ツケ” が現れていると言えよう。

性教育に熱心だった時代

記事によれば、1992年を「性教育元年」とした以後10年間では、性教育が熱心に行われていたという。

エイズなどの性感染症に対する危機感をきっかけとして始まったこの取り組みは、しかりあっさりと取り壊されてしまう。

コンドームやピルの使用方法が書かれた教育冊子の回収騒動をきっかけとして、国会やマスコミにおいて「性教育の内容が過激すぎる」という批判が多く聞かれるようになり、結果として教育方針が見直される運びとなったのだ。

 

だが、わたしからすればそうした教育の何が悪いのかが分からない。

IT技術が発達し、今やスマートフォン(中学生でも持っている)から誰でもインターネットを通じてアダルトコンテンツにアクセスできてしまう時代だ。

そういう時代だからこそ、子供たちが多くの知識や選択肢を以って物事を判断できるように、しっかりとした性教育を施すべきではないのだろうか。

子供たちにそういう環境を与えなければいい、という意見もあるが、それはこの情報社会において時代錯誤な考え方(全ての情報を取捨選択することは物理的に不可能)だし、それによって子供たちの多くのチャンスを奪ってしまうことにもつながる。包丁で手を切るのは危ないから料理はさせない、と言っているようなものだ。

そうではなく、子供たちに寄り添い、見守り、正しい知識と道を指し示していくことが大人たちの役目なのだと私は思う。

 

そうした意味では、性教育において「やりすぎるデメリット」など私は存在しないように思う。

なぜなら、それは誰もが通る「生」の道であり、その上を歩くための心得や、危険(性感染症や望まれない妊娠など)から自らの身を護るための知識を、早くから持っておいて損な事などないからだ。

 

それと同時に、人間愛のプロセスとしてのセックスが素晴らしいものだということも同時に教えていくべきであると思う。

恥ずかしい話だが、私も自分が実際に経験するまでは、セックスを快楽中心のイヤらしいものとして捉えていた。(目にしてきた大人向け娯楽雑誌の影響だ)

しかし実際には、性行為は子供を作るという目的以上に、互いの愛情と信頼を確かめ合うための、最高難度にして至上のコミュニケーション手段だったと知ることになる。

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セックスの意義

 セックスって何?と効かれたとき、あなたはどうこたえるだろうか。

「エッチなこと」「気持ちいこと」「大好きな人とする大切なこと」「不潔なこと」「いやらしいこと」「子供を作る手段」……etc.

 

様々意見は出るだろうが、私は自信をもって「人間理解のプロセスにおける最深のコミュニケーション」であると答える。

 

充実したセックスを行うことはめちゃくちゃに難しい。

独りよがりの行為では相手を傷つけてしまうし、逆に相手にばかり重心を置くと今度は自分が不完全燃焼に陥ってしまう。

程度を誤ればたちまちに心の距離は離れてしまうし、注意を欠けば関係の崩壊もあり得る。

相手に対する繊細な気遣いと思いやりが常に要求される、常に綱渡りをしているかの様なリスクのある行為だ。

 

しかしそれを乗り越えた先では、セックスは至高のコミュニケーション手段になりえると私は思う。

互いの欲望を晒しあい、与え、与えられる。

心の最深部まで踏み込むその過程によって、私たちはこれまでよりも一層深い信頼感や愛おしさを相手に感じることが出来るようになる。

愛し合う二人が、互いに身体を寄せて微笑みあえる時間は、この上ない幸福な時間だ。

 

そうしたセックスは、イヤらしさや汚らわしさに覆われた「不潔な」行為などでは決してない。むしろ、人間らしい慈愛に満ちた素晴らしい愛情表現であると私は思う。

 

しかし、いざセックスについての話になった時に、こうした面が語られることは少ない。

それよりも、イヤらしさやいかがわしさ、恥ずかしさといった面が強調され、みんな互いに目をそらしながら話をする。

そんな姿勢なものだから、深いところまで踏み込んだ話も行われないし、学校教育でも話されることが無くなる。

私は「性」に対する日本人のこうした姿勢が性教育の遅れを引き起こしているように思える。しかし、一体なぜこのような意識が社会に蔓延しているのだろうか。

 

私は、その原因が日本人の国民性にあるのではないかと思っている。

日本人に蔓延する「性」への嫌悪感

性欲は人間の三大欲求のうちの一つだ。

一部の人を除けば、興味や関心のない人などいない。

実際に、テレビのバラエティーでは下ネタで笑いを取ろうとする芸人やたタレントが沢山いるし、昨今のワイドショーやドラマでは「不倫」をテーマにしたものが大盛り上がりだ。

恥ずかしがってはいるものの、みんな心の奥底では「性」に関する話題が大好きなのである。

 

しかし反対に、それをまるでタブー視するような雰囲気が日本には蔓延している

「性」に関するものはとにもかくにもダメ!そんなもの表に出すな!という秘匿志向が、暗黙の了解のうちに人々に共有されているのである。

こうした矛盾じみた姿勢は、一種の「反動形成」にあたるものではないかと私は思っている。

反動形成とは、フロイトが説いた「心の防衛機制」の一つで、大辞林 第三版では

欲求をそのまま満たすことが許されない時、それと正反対の行動となって表れる心の働き。例えば、子供に憎しみをもっている継母が、かえって過度に甘やかしたりする場合。

と説明されている。

つまりは、本当は興味津々な「性」に対する欲求を満たすことが社会や環境によって禁止され、その反動として「性」に対する「嫌悪」の感情が現れてしまっているということだ。

もちろん守られるべきモラルは設定されるべきだが、日本人の性的な話題に関する嫌悪感はそのレベルを大きく超えていってしまっているように思う。

正しく行えば、夫婦や恋人同士のコミュニケーションとして素晴らしいものであるはずのセックスを、「いやらしさ」や「恥ずかしさ」の象徴としてしか捉えられていないのである。

 

ニャートさんの記事のコメントに寄せられたコメントに、このようなものがあった。

わからんけど逆に「うちはセックスレスなの」とは言えても「うちは2日に一度はやってるよ」とは言えない謎の力ある

2017/06/11 20:56

2日に1度夫婦の営みをすることは、単純に考えて仲が良い証拠であり、互いに密なコミュニケーションが取れている証拠だ。この少子化社会において、このような夫婦が増えることは非常に有益なことのはずである。

しかし、こういった話はコメント主の言う「謎の力」によって封殺される。

そうした空気感の根底には、中心となる羞恥心の他に、他人へのひがみや嫉妬心も含まれているような気がする。

 

日本人のこうした国民性が、「性」の話題に真剣に向き合う機会を奪っている様に私は思う。

日本人は、セックスが大好きで大嫌いな人達なのだ。

最後に

熊本市にある「こうのとりのゆりかご」(いわゆる「赤ちゃんポスト」)には、毎日多くの妊娠や出産に関する相談が届いているという。

www.nishinippon.co.jp

その数は2016年だけで6565件にも上り、これは10年前の約13倍にもなるとのことだ。

また、市によると、同年度は「妊娠、避妊」「思いがけない妊娠」に関する相談が8割を占め、相談者の年齢は20代が最多の1944件。10代は計1172件で、うち15歳未満が43件あった。全体の4割が未婚だったという。

こうした数字からは、赤ちゃんポストという「避難所」ができたことによって、これまで社会に隠れていた「性」の問題が顕在化してきている様子が見て取れる。

子供たちに対する目隠し教育を主導してきた人々は、これを見て何を思うのだろうか。

 

これらの問題の根幹にあるのは、ここまでに述べてきたような「性」を過剰に意識した日本人の姿勢がある様に思う。

 

セックスなんていやらしい!汚らわしい!恥を知れ!

そんなものについて詳しく語るなんてとんでもない!だから子供達にはちゃんと教育できない!(だからとりあえず見せない!)

教育されていない子供達には知識も責任もない!だから若いうちのセックスはとことん禁止!(そこで間違ったセックス or 望まない妊娠をしても自己責任!)

だけど、社会のために子供は必要だから、いい年になったら早く子供を産め!

 

こんな社会に、違和感を感じている人は多いはずだ。

 

性教育を施したって、未熟な子供たちが性衝動を抑えられるとは限らないという声もあるだろう。

しかし、だとしたら余計に「性」に関する知識を彼らに与えるべきではないのだろうか。

性感染症や堕胎・中絶のリアルな知識があれば、過ちを犯す寸前に一歩踏みとどまることが出来る。

14歳の少女にピルの知識があれば、少なくとも望まない妊娠から自らを守ることが出来る。性行為によるリスクが高い女性の側から、そういう手段をとることができる。

そうした「プラスの可能性」に繋がる教育を億劫がって、目隠しで事が丸く収まるなどと思うのは「ムッツリスケベ」な大人の怠惰な思い上がりでしかない。

 

そして、その影響は若者達の「今」だけではなく、セックスへの「面倒くささ」として将来の夫婦仲や少子化へとつながっていく。

そうした傾向は、またしても日本人の「性」に関わる認識をネガティブかつ消極的なものにしてしまうだろう。それでは、何の進歩も発展もありはしない。

 

私たちは、これまで「なんとなく」で済ませてしまっていた、しかし大切な「生」と「性」の問題に、もっと真正面から向き合う必要がある。私はそう、強く思う。

 

 

追記:

テレビや雑誌で取り上げれている「性」の話題が「いやらしさ」の面を強調していることから、それを見た私たちの「性」に対する認識が歪んでいっているのかもしれない。

個人にしろ組織にしろ、「性」の印象を悪くするような発言や発信をすることで、自らその価値を貶めているのではないだろうか。